転倒予防のガイドライン/海外の事例から
木村明彦
高齢化社会においては、骨粗鬆症により骨の強度が低下し易骨折性を有した人口構成が増えつつある。転倒による大腿骨頸部骨折や脊椎椎体骨折などは日常的に診療の機会も多い印象をお持ちの医師も多いと思われる。しかし、これらの骨折は体動困難に陥り入院生活を余儀なくされ、寝たきりになる可能性を秘めた怖い骨折でもある。たとえ順調に治療が終了したとしても、核家族化の影響による老夫婦のみの世帯や独居高齢者が増加しており、日常生活の世話や介護をしてくれるものがいないという状況も多く、社会問題化してくる可能性がある。これらの骨折の受傷機転は、殆どがちょっとした自己転倒である事実を踏まえ、転倒予防の重要性が海外においても注目されている。ここでは、米国および英国の老年医学会が中心となり作成した高齢者における転倒予防のガイドラインを紹介する。
欧米諸国においても、転倒は多くの高齢者にとって直面している深刻な問題である。転倒は一般的にたくさんの病的な危険因子や環境などの相互作用の結果と捉えられている。転倒するまで高齢者本人も危険因子に気づくことは少ないため、医療者側は転倒して受傷した結果を治療するのみでなく、潜行しつつある転倒の危険をいかに回避させる機会を設けるかが重要である。社会生活を営んでいる健康な人であっても、65歳以上の人口の35〜40%が1年間のうちに一度は転倒すると言われている。さらに病院や自宅で介護を受けている人達の転倒率はさらに高くなる。また、転倒した人の約5%は病院での治療が必要になっている。近年米国においては、65歳以上の全医療費の約6%が転倒に関わる医療に費やされている。また、不慮の事故による死亡は、死因別では心血管障害、悪性新生物、脳血管障害、肺障害に次ぐ第5位であり、不慮の事故死全体のうち2/3が転倒によるものであり、その内の75%は65歳以上であり、65歳以上の死亡率の13%に該当するという極めて驚くべき事実がある。近年では長期療養型の病院への入院の主因は転倒であり、転倒後の体力的なダメージのみならず、“転倒後不安症候群”と呼ばれる精神的な影響についても報告され、高齢者が社会復帰できない一つの要因と考えられている。
転倒危険因子についての様々な研究がなされているが、大きく分ければ内因性(筋力低下、歩行障害、視力障害、バランス不良、認知障害など)、外因性(外力、薬剤の副作用など)、および環境因子(照明、床など)からなる。主な内因性転倒危険因子についての多変量解析の結果としてのランキングは、筋力低下、転倒歴、歩行障害、バランス障害、装具(杖)使用、視力障害、関節炎、ADL障害、抑うつ状態、認知障害、80歳以上の順である(Table 1)。これらの内因性危険因子が、複雑に相互的にあるいは協同的に作用することによって転倒の危険性が劇的に増加するといわれており、社会生活を行っている高齢者の反復転倒率は、危険因子が一つの場合10%であるのに対して、危険因子が4つ以上になると実に約70%に跳ね上がる。その他の原因として、低血圧や不整脈など心血管系の疾患による一過性の意識低下や椎骨脳底動脈循環不全によるとされる失立発作(意識障害を伴わない下肢の脱力発作)によるバランス不良が関与しているということはまだあまり知られてはいない。
ガイドラインは、転倒の既往と転倒に関わる評価が、将来的な転倒を未然に減少させうる転倒予防活動(以下:介入とする)に繋がるような多くのcontrolled studyを基本にされたものである。転倒に関わる危険因子や介入効果などの様々な解析がなされているが、研究の手法や客観性を基準にして、そのエビデンスをクラスIからIVのカテゴリーに分け、それぞれのクラスに基づく推奨度の評価をAからDに分類している。例えば、クラスIとは少なくとも一つ以上のrandomized controlled trialのエビデンスやその解析結果であり、クラスIのエビデンスに直接的に基づく介入を推奨度Aと分類している。したがって、転倒予防に関する各種の介入の推奨度が、エビデンスの証明方法を基にAからDにランク付けされることになっている(Table 2)。このことから、転倒予防活動という漠然としたものであるが故に、エビデンスに基づく科学的な根拠を大切にしようという姿勢が見てとれる。転倒予防ガイドライン委員会では、常に広範な質の高い最新の参考文献を検討するとともに、各種の専門家に意見を聞きつつガイドラインの発展に寄与している。
| ● 5. 転倒経験患者およびハイリスクの高齢者の評価 |
個人の危険因子を理解し、有効な介入を供給するための指標をFigure 1のようなアルゴリズムにまとめている。当然ながら対象となる高齢者の状態によって、評価や介入の強度は変化するものであり、その流れは以下のごとくである。1)過去1年間の転倒の有無をチェック。2)一度転倒した高齢者には、上肢を使わずに椅子から立ち上がって、いくつかの速度で歩かせ、元の場所に戻る(Get Up and Go Test)動作の中に、困難さや不安定感が無ければそれ以上の評価は必要ない。3)テストで不安定性を認めた場合、過去1年間の転倒回数を調査し、適切な臨床家により歩行やバランスの状態の評価をし、必要があれば老年病医などの専門家に紹介する。
転倒の評価項目は、転倒の状況調査、服薬状況、急性あるいは慢性疾患の問題、活動レベル、視力検査、歩行ならびにバランス、下肢の関節機能・末梢神経、精神状態、脳機能、心機能などである。
患者の評価を踏まえ、実際に転倒予防への介入にはどのようなものが、どの程度推奨されているのであろうか。転倒を予防する効果を多因子介入および単一介入に分けて、それぞれの介入がどの程度の推奨度を有するのか調査した。
- (A)多因子介入
予防効果判定対象となる高齢者の社会背景から大きく3つのグループに分けて、1)通常の社会生活を営んでいる(大多数)、2)長期療養施設入所者、3)急性期病院入院中に分け、それぞれの高齢者に対する多因子介入を以下に示す。なおTable 2に挙げたA〜Dの介入推奨度を各々の介入後の括弧内に示しておく。
1)グループへの介入:歩行訓練ならびに適切な補助具の使用(B)、投薬内容の変更、特に向精神薬(B)、バランストレーニングなどの運動プログラム(B)、起立性低血圧治療(B)、不整脈を含む心血管系疾患治療(D)
2)グループへの介入:スタッフ教育(B)、歩行訓練ならびに適切な補助具の使用(B)、投薬内容の変更、特に向精神薬(B)
3)グループへの介入:急性期病院入院中の場合は不十分なエビデンスしかなく、十分な研究がされていない実情がある。
- (B)単一介入
ア)運動:転倒予防に対する運動の利点に関する報告はされているが、委員会としては推奨できる運動の形態までは決定できなかった。しかしながらキーポイントとして、バランス訓練のエビデンスが最も信頼性が高い、抵抗運動やエアロビクスはエビデンスに乏しい、最適な運動のタイプや強度に関わるデータは僅かしかない(B)、転倒を繰り返す高齢者では継続的な効果を得るためには継続的な訓練が必要(B)、更なる研究が必要だが太極拳はバランス運動として推奨できる(C)、長期療養患者に対する単独の運動療法はエビデンス無しなどである。また、運動療法が転倒予防に有意に働かないというClassIに属するエビデンス例としては、比較的若い元気な高齢者の荷重運動と2年以上にわたるカルシウムサプリメントの服用は転倒減少に有意差がない、社会生活を営んでいる高齢者に対するコンピューター化されたバランストレーニングは効果がない、高齢男性においていわゆる老年体操プログラムは転倒予防に効果がないなどがある。
イ)環境改善:転倒リスクが高い退院時期に、屋内の設備の評価は考慮すべきである(B)。その他の時期に屋内設備を改善しても転倒予防の有用性は無い(ClassI)。
ウ)投薬:どのような状況下でも、向精神薬の服用と転倒は密接な関係があり、ベンゾジアゼパムは長時間作用型と短時間作用型では、転倒のリスクに有意差は無い(Class II)。
エ)補助具:ベッドアラームや歩行器やヒッププロテクターなどの有用性は示されているものの、これらの補助具の単独使用が転倒を予防する直接的な効果は証明されていない。杖や歩行器については転倒予防としての介入としては(ClassIV)である。ヒッププロテクターは転倒ハイリスク患者の大腿骨頸部骨折の予防に貢献しているが、転倒そのものを予防する効果は無い(ClassI)。
オ)行動、教育プログラム:多因子介入の研究では、行動および教育プログラムは有用性が示されているが、単独介入では転倒減少には至らなかった(B)。
米国の転倒予防ガイドラインを紹介したが、ガイドライン委員会はまだまだ未解決の協議事項に向かってup-to-dateな答えを見つけるために動き続けている。“転倒予防のエビデンスと介入の有用性”という巨大なテーマを解決するには、莫大な人的、時間的、空間的、経済的な負担が予測され、わが国でも国家レベルで行われるべき問題である。
文献
Guidline for the Prevention of Falls in Older Persons: American Geriatrics Sosiety, British Geriatrics Society, and American Academy of Orthopaedic Surgeons Panel on Falls Prevention.:JAGS 49:664-672,2001.
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